遠野物語の世界へ■ 旅の写真:岩手県遠野市
この書を外国に在る人々に呈す
思うに遠野郷にはこの類の物語なお数百件あるならん。
我々はより多くを聞かんことを切望す。
国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。
願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。
以上、柳田国男『 遠野物語 』序文から引用
柳田国男:1875年~1962年
東京帝国大学法科大学(現在の東京大学法学部)を卒業し
農商務省(現在の経済産業省・農林水産省)官僚となる
貴族院書記官長(現在の衆議院事務総長/参議院事務総長に相当)まで昇進し1919年退官。
なお農商務省では農務局農政課に勤務し、全国の農山村を歩いた。また早稲田大学で「農政学」を講義するなどした。
交流があった文人には、島崎藤村、田山花袋、新渡戸稲造、南方熊楠などがいる。
1919年の遺族院書記官長退官後には、
1921年~1923年まで、ジュネーヴの国際連盟委任統治委員に就任。
1924年4月、慶應義塾大学文学部講師となり民間伝承を講義。
柳田民俗学を継承した折口信夫とは1915年に、宮本常一とは1934年に出会っている。
『遠野物語』
遠野地方出身の民話蒐集家・小説家あった佐々木喜善によって語られた遠野地方に伝わる伝承を、柳田国男が筆記・編纂する形で出版された物語。
この『遠野物語』は、日本の民俗学の先駆けとされている作品。。
さて疑問なのは、『遠野物語』の序文の「外国に在る人々」とは、誰?どんな人?
「平地人」は?
『遠野物語』が発表されたのは1910年(明治43年)。
長々と柳田国男の経歴などを記したのは、柳田がエリート中のエリートであったと言いたかったからではありません。
いたずらに「外国に在る人々」とか「平地人」とかいった言葉を使う『器の小さい人』ではないんですよと知っておいていただきたいからです。
『遠野物語』が発表された頃は、日露戦争に象徴されるように、国際社会における日本の地位の確立と国内体制の整備が進められた、まさに歴史的な激動の時代だったのです。
そしてこの時代は、欧米列強との関係が否応なく深まって、対外的な摩擦と緊張が高まりました。また一方国内では、産業や社会構造が急速に大きく変容した時代でした。
そして「外国に在る人々」というのは、日本の歴史の重さや日本人の心を忘れて、押し寄せる欧米列強の政治や文化を盲目的に肯定する人たち。
「平地人」というのは、相対するのは『山の人』となるのでしょうが、利便性のために自分の歴史を忘れ去る人、
日本人としてのアイデンティティーを失っている人たちを指しているのではないでしょうか。
そこは神や精霊がいる世界・・・。
馬が人間の娘と恋をし、狐が救ってくれた爺さまを何かと助けたり、小さな妖精が住みつくと家が栄えたり・・・。
そんなこと、あり得ない!
そう言ってしまうのは簡単。
なぜそんなお話が作られたの?
それで、そのお話は何を伝えたかったの?
そんな疑問や好奇心を人の心におこす力が物語には潜んでいるから、『 これを語りて平地人を戦慄せしめよ 』と、柳田はいっているのでしょう、私はそう思います。
令和7年10月 記
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