このサイトについて奥の細道 写真旅 についてのご説明
東北の旅、みちのくの旅
このサイトに『 奥の細道 写真旅 』と題したのは、松尾芭蕉の『 奥の細道 』を強く意識しているからです。
「 旅 」というのは日常と少し変わったもの、そんな感じを持つことが多いと思います。しかし実は、人の一生も「 旅 」と変わらないもの、「 旅 」を住処とする人々さえもいる。
松尾芭蕉はそんな風に考えていたのだろうと、私は思っています。
そして生まれてから今日までの私自身の生き方も、明日からの生き方も、「 旅 」なんだなあと芭蕉の考えに深く共感しています。
風流の初やおくの田植うた
さて江戸を発ち陸奥へ向かった芭蕉は、白河の関を超えて須賀川(すかがわ・現在は福島県須賀川市)に入ると、等窮に招かれてそこに数日滞在しました。
そしてこの句は、等窮の屋敷で詠んだ句です。
(等窮(とうきゅう・相楽等窮):相楽伊左衛門の俳号。当時、伊左衛門は宿場須賀川を監理する役人に就いていた。)
芭蕉は奥州街道を北上して日本海側を南下する紀行を『 奥の細道 』と題しているように、白河の関を超えてからが、紀行文奥の細道の本文の始まりなのです。
そして私の写真旅も、今はじまります。
令和7年9月
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