旅のお話
天山文庫に草野心平さんを訪ねて
福島県川内村大字上川内字早渡
私が川内村の名前を知ったのは、川内村は『 日本一美しい村の一つ 』というフレーズからです。
残念ながらそのフレーズが出ていたのは週刊誌だったのか、あるいはネットの何かのサイトだったのか覚えてないのですが。
そして川内村へ行ってみたいと思った理由は、詩人の草野心平が住んでいた建物が残されていると知ったからです。それが「 天山文庫 」なのです。
心平さん・・・、もちろん私は草野心平と面識はないのですが、草野心平の詩を通して感じた彼の人格に共感と親しみを込めて「心平さん」と呼んでいます。
心平さんの詩といえば、「 蛙 」を思い浮かべる方が多いと思います。
そして大体の場合、私の個人的な判断に過ぎないかもしれないのですが、その「 蛙 」はどことなくユーモラスなものとして・・・。
でも、私の思いはちょっと違うんです。
蛙、(心平さんが川内村に住んでいた時代には)どこにでもいっぱいいる生き物なんですが、自然界の中では決して強い生き物ではない。
蛇という天敵にいつもビクビクしていて、冬が来ると食べ物がなくなるから土に潜って冬眠して・・・。
これ、私たち人間も蛙と同じじゃないでしょうか?
話は飛びますが、多田武彦という作曲家が心平さんの詩をたくさんの歌(合唱曲)にしています。
詩が作曲家の手によって音楽になり、そこに指揮者の解釈が入り込んで、さらに歌い手である合唱団の個性で色合いが重ねられると、私たちが聴く演奏は作詞家が表現したかったものとズレてしまうところが生じてしまうかもしれません。
しかし私たちが詩と旋律、そして演奏者の熱意といった複合的な作品あるいは芸術に接するほうが、本の活字として表現される詩よりももっと強くダイレクトに、私たちの心に響くものがあるのではないでしょうか。
そして心平さんの詩のエッセンスを皆さんに知っていただくためには、合唱曲を聴いていただくのが一番の早道だろうと思い、以下に YouTube の合唱のへのリンクをお示しすることにします。
心平さんは明治に生まれて昭和に活躍した、『 今は昔 』の人?
忘れ去らていくだけの詩人?
いいえ、多田さん(多田武彦にも親近感を感じて)をはじめ、幾人もの音楽家が音楽にした心平さんの詩は、今でもたくさんの若い人たちに愛唱され続けています。
今も若い人たちが、多田さんと心平さんの歌を、渾身の力を込めて歌っているのです。
今を生きているあなたも、衝撃に近い何かを感じることだと思います。
どうぞ、以下のリンク先の YouTube の合唱を聴いてみてください。
男声合唱のための組曲「蛙の歌」 関西学院グリークラブ
男声合唱のための組曲「蛙の歌」
1.小歌
2.亡霊
3.鰻と蛙
4.蛇祭り行進
5.秋の夜の会話
作詞:草野心平
作曲:南弘明
指揮:安田博重
~秋の夜の会話から~
寒いね
ああ、寒いね
虫がな鳴いているね
ああ、虫がな鳴いているね
もうすぐ、土の中だね
土の中は、いやだね
痩せたね
君もずいぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだろうね
腹だろうかね
腹取ったら死ぬだろうね・・・
男声合唱組曲『富士山』 早稲田大学グリークラブ
男声合唱組曲『富士山』
一、作品第壹
二、作品第肆・*
三、作品第拾陸
四、作品第拾捌
五、作品第貳拾壹・*
作詩:草野心平
作曲:多田武彦
指揮:松井慶太
* 二、作品第肆 への私の思い
富士山の見える川の堤の下、春の光がまばゆくて心も弾むはずなのに、私は悲しくて、両手で顔を覆わずにいられない。
でも気が付くと、少女たちがうまごやしの花を上手に編んで縄にして、縄跳びをしている。
無邪気に遊ぶ少女たちの縄跳びの輪に、いつしか富士山も入ってしまっている・・・。
富士山は時には近づき、また遠くに座っている。
私なんかが何を悩もうと悲しもうと、いつも富士山は変わらず、私を見ているんだ・・・。
ちょっと救われた気がしてきたかな?
* 五、作品第貳拾壹 への私の思い
上記の「作品第肆」と同じ組曲の最終曲。
暗い雨雲が垂れこめていて、その雨雲のさらに上には、いきなり夕映えの富士がそそり立っている。
雨雲からは、大粒の雨が激しく降り注いでいる。
大いなる自然、大いなる存在、それが富士・・・。
男声合唱組曲『草野心平の詩から』 関西学院グリークラブ
男声合唱組曲『草野心平の詩から』
1.石家荘にて・*
2.天
3.金魚
4.雨
5.さくら散る・*
作詩:草野心平
作曲:多田武彦
指揮 下薗大樹
* 1.石家荘にて への私の思い
石家荘・中国河北省の省都。大きな川が、西にある山脈から市域を東に貫いて、天津に向かって流れている。
サガレン・サハリン
月蛾・遊女
白き夜半・細い月の光で街は白く照らされている
心平さんは大陸の大学で学んで上海で記者をして・・・と、大陸での経験をしています。
石家荘にては、中国での体験が基になっているものと思います。
* 5.さくら散る への私の思い
はながちる
光と影がいりまじり
雪よりも
死よりもしずかにまいおちる
光と影がいりまじり
ガスライト色のちらちら影が
生まれては消え
はながちる
東洋の時間のなかで
夢をおこ
夢をちらし
心平さんが13歳の時に、兄が16歳で、46歳で母が、そして22歳の姉、3人が相次いで病死・・・。
戦争でペンを置かざるを得ない経験もした心平さん。
心平さんにとって、希望と失望は別の世界のものではない。
心平さんにとっては、希望と失望との間に境界線なんかないのかもしれない。
夢や希望などというものは、散っていくさくらの花のように儚いもの、空しいもの。
心平さんは、そんな風に感じていたんだと、私は思います。
天山文庫客間から庭を眺めて
心平さんは、お客と酒を酌み交わしながら、池の蛙の声を聞いていたことでしょう。

天山文庫のバー
棚の上に「学校」と書かれた大きな看板。心平さんは昭和35年、新宿御苑前に「 学校 」という名前のバーを開いたこともある。
そして右側の大きな時計。ワインを飲みながら、心平さんは何を考えていたのでしょう?

令和7年9月 記
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