奥の細道 写真旅

◆ 旅のお話・もくじへ

旅のお話

鎌倉権五郎景政とは

福島県飯館村草野字宮内の綿津見神社~弐

福島県飯館村のエピソードで、前回は「 山の里に海の神様が、なぜ??? 」をアップしました。
その中で飯館村草野字宮内の綿津見神社のご祭神について記録したのですが、ご祭神のひと柱「 鎌倉権五郎景政の神霊 」がどんな神様なのか分かりませんでした。
ところが「 合戦場のしだれ桜 」を作っていて『 後三年の役 』について調べていたら、偶然鎌倉権五郎景政について書かれたサイトを見つけて、 ああ、これは鎌倉の武将だったんだと分かりました。
桓武天皇を祖とする平家の一門で、鎌倉に所領を持っていた。
16歳という若さで後三年の役に参戦し、片目を矢で射られたのですが大奮戦したという武勇伝が残っているそうです。
やはり権五郎景政の出身地ですね、神奈川県横浜市や鎌倉市などの神社のほとんどで、鎌倉権五郎景政をお祭りしているようです。

そして福島県でも飯館村草野字宮内の綿津見神社の他に、
豊景神社:福島県郡山市富久山町福原
多田野本神社:福島県郡山市逢瀬町多田野
で、鎌倉権五郎景政をお祭りしていると言うことです。

さてお祭りしている由緒はそれぞれの神社でご説明があるところですが、より多くの人の納得を得るには、神話的な説明よりも歴史的事実にもとづいた説明のほうがよさそうだと思います。
そして私が推測する理由は、このようなものです。
源頼朝が奥州平泉の藤原軍に勝利した後、鎌倉幕府は鎌倉周辺や関東の御家人に奥州各地を領有させています。
奥州の藤原領だった土地を戦の恩賞として御家人に与えたわけですね。
それらの土地には御家人が直接在住したとは限らず、飛び領地としたケースが多いようですが、新たな領地にも、もともとの、または本家本元の領地の祭神を祭るというのは、とても自然なことだと思います。
そして当時の飯館村にも、鎌倉から「 鎌倉権五郎景政の神霊 」とともにやってきた人たちがいた・・・。

綿津見神社

飯館村・綿津見神社

「命を賭けた戦い」の恩賞としてもらった領地、そこにはどんな魅力があったのでしょうか。

おそらく千年前の飯館村は、鉄や、もしかしたら金や銀、銅も採掘できた所かもしれません。
飯館村の東の南相馬市では、規模の大きな中世の製鉄炉跡が発見されています。
また飯館村の少し南の葛尾村には、江戸期から明治に栄えた鉄の商社の『 松本大尽屋敷跡 』(今は葛尾大尽屋敷跡公園として整備されています)があります。
さらに、飯館村蕨平から南相馬市高倉にまたがる地域で、1907年頃に高倉鉱山が発見されて、1960年まで鉄や銅の鉱石が採取されていました。
高倉鉱山は綿津見神社から北東へほんの 6kmくらい、山道を行ったところにあります。

当時の鎌倉幕府の御家人たちにとって飯館村は、「命を賭ける」価値がある土地の一つだった、というわけです。

令和7年9月 記

◆ 旅のお話・もくじへ

サイトのもくじ

  ホーム  /  旅の写真  /  旅のお話  /  お問い合わせ  /  リンク集